人間社会において、何らかのストレス・リダクション・ツールとしての、酩酊物質は必要である。
日本や欧米ではアルコールが、イスラム教圏ではコーランによって酒が禁止されているため大麻がその役割を果たしている。
日本や欧米におけるアルコール、イスラム教圏における大麻は『文化』によって、その存在が万人に認知され、制度化されている。
しかし欧米や日本における(アルコールが歴史的に使用されている)国において、大麻という酩酊物質を扱う『ノウハウ』がないため、何らかの『法的制度』をもって規制もしくは部分的な開放をしなければならない。
部分的な開放(オープン化)をする際、文化的ノウハウがないため、(無知から来るにしても)酩酊そのものが社会的な害悪とみなされ、隔離もしくは罰金などのリスクを設けることが必要である。
大麻のオープン化をする原因は(政府の発表がどうであれ、『人口10万人あたりの薬物事犯数』などを参照すれば理解できる)、他のハードドラッグ蔓延に対する防波堤、ということが多い。
日本において、少なくとも『人口10万人あたりの薬物事犯数』はそのレベルに達していないし、
薬物事犯者に対して『懲罰モデル』のみで対処していて『治療』というメソッドが存在しないこと、
(オランダ薬物政策は『予防・治療・害の削減』で構成されている)
日本の薬物事例では覚醒剤の占める役割が大多数であることから、
大麻のオープン化が、国民に与える影響は害のほうが大きいと考えられる。
(どの程度のオープン化が妥当か、という問題はあるが、それは合法化主張側から提出されなければならない。単純所持・栽培を許可したとして、流通はどうなるのか、等の問題が出てくる。)
せれさんへの回答:
Q
- ルシティアさんに見えている「大麻解禁のデメリット」というのを具体的に教えて下さい。
- 「大麻解禁」が社会的に悪影響を及ぼすというデータを示して下さい。
- 上記に記したとおり、『文化によって未知の酩酊状態』が及ぼす社会的悪影響。つまり、この文脈においてイスラム圏における大麻使用は問題なし、といえる
- 文化圏に依存するため、定量的・定性的データは存在しないが、オランダにおいても『大麻栽培を助長するあらゆる物の販売を禁止する方向』 『2000年に政府は大麻の自家栽培、外国からの輸入、違法な小売り、青少年に対する大麻製品の販売を厳しく規制』という方策を打ち出している。従って、少なくともアルコールが酩酊物質として定着し、大麻に対する知識が民間レベルで存在しない場合、大麻の酩酊そのものが害をもたらす、と考えられる。
というわけでぬくくして寝ます
3 件のコメント:
私の提示した、議論の前提となる質問2点について、回答になっていないので「下書き」を仕上げられたらレスします。
>>上記に記したとおり、『文化によって未知の酩酊状態』が及ぼす社会的悪影響。つまり、この文脈においてイスラム圏における大麻使用は問題なし、といえる
についてですが、歴史的に考えると日本において「麻」というものは、イスラム圏以上に生活において身近な存在だと私は思います。
大麻(マリファナ)=近代的な意味でのドラッグの一種と考えるから「未知」だと思うのであって、麻は古来から日本において普通に自生していた野草と考えれば、古くから嗜好品としては勿論、祭儀などで用いられていたものですし…
茅葺き屋根、畳、食品、縄…etc
生活用品として普通に用いられていました。
古来から民間療法にも用いられていましたし…。
また疑問なのですが「アルコールが酩酊物質として定着し」って若者のアルコール離れが叫ばれている状態ですし、果たして嗜好品としての大麻が「酩酊状態」を望む人のものなのでしょうか?
大麻をそのように考えている人がいることは否定しませんが、全体的な意見ではないと思いますし、それは乏しいドラック教育(政策)の問題ではないでしょうか?
また『文化によって未知の酩酊状態』を危惧するのであれば、大麻以上に脱法ドラックやスマートドラック、(認可されている)向精神薬の方がよほど日本文化に馴染みの無いものだと私は感じますが、この点はルシティアさんは如何考えでしょうか?
あとイスラム文化圏についてですが、酒と大麻の関係は…怒られますよ(汗)
コーランに記されている「酒(khamr)」の原義は、「隠すこと」「覆うこと」である。酒は、理性を捕らえ(tukhāmir)、混濁させるものであることから「ハムル」と名付けられた。また、酒は理性を覆い隠すものであることからそう名付けられたとも言われています。
つまり「理性を覆い隠す状態」に警告を与えています。
コーランに「彼らは酒と掛け矢についておまえに問う。」という言葉がありますが、賭け矢は賭け事のこと、こちらも熱中しすぎると「理性を覆い隠す状態」になるからです。
イスラム圏において大麻が『文化』として存在することに異論はありませんが、それがイスラム教的に制度化されてるとは私には思えません。
制度化については論拠の出典が知りたいです。
それは、今日でこのようにインターネット上でこのような興味深いトピックを見つけるために良い感じ。私は非常にあなたが共有し、私たちと一緒に投稿したものと興味があった。とにかくこれのおかげ。
jwh-122
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